印刷の歴史
中世の印刷
キリシタン印刷
日本にもヤソ会派の宣教師によって、1590年島原半島加津佐に活字・活版印刷機が持ち込まれ日本ヤソ会の学林でキリシタン版の印刷がはじめられた。日本で最初に印刷されたキリシタン版は「サントスの御作業の打ち抜き書」と題す る宗門書で欧文活字のみを使用していた。
その後、豊臣秀吉や徳川家康のキリシタン弾圧をうけ1611年邦文キリシタン文「ひですの経」を最後に断絶解体した。しかし各藩にあっては木版印刷は普及していったようである。
キリシタン

日本での活版印刷の夜明け
キリシタン版の断絶後200有余年江戸時代末期の1848年オランダ船が活字、活 版印刷機を持ってきた。
これを買い取ったのが4人のオランダ通訳で、その一人に後世日本活版印刷の始祖とされる本木昌造が加わっていた。出島のオランダ屋敷にはオランダ印刷所が開設された。
2年後にはオランダ政府から徳川家慶将軍へスタンホープ手引印刷機が贈呈さ れた。その印刷機は文部省の印刷所をへて現在王子の印刷局研究所に所蔵されている。当時本木昌造は長崎製鉄所頭取の任にあり、ろう型電胎法による活字 母型の製造をはじめ、活字の鋳造活版技術についてガンブルの伝授を受けた。
1870年明治3年本木昌造は製鉄所を退いて「新町活版所」を創設した。活字の 鋳造販売を行い、印刷の注文を取って商売すると言う活版の企業化は本木昌造 によって始められたのである。そしてその年大阪に長崎新塾出張大阪活版所、 東京に小幡活版所を進出させた。
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兵庫県では明治8年に神戸で金子印刷が開業し、五洲社、怡南号と 3社が開業した。ある統計では、明治28年頃には開業印刷所が全国に100社を超えていたようだが、 平成の時代まで存続している印刷所はあまりない。
下の写真は兵庫城崎の福富印刷所 が明治30年から昭和初期にかけて 使用していた手製ハンド印刷機で ある。当時の機械で生産能力は一 時間に300枚から500枚だったとい う。これと同じ印刷機が神戸市立 博物館に保存されている。
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